ジェイコム株誤発注事件(東京地判平21.12.4)

 事案   東証に取引参加していたみずほ証券は、新規上場されたジェイコム株につき、「61万円1株」で売り注文すべきところ、誤って「1円61万株」と入力し、制限価格を超えているとの警告画面も無視してそのまま発注した。その後、みずほ証券は取消注文を入力したが、東証の売買システムには一定の場合に取消注文が正常に執行されない不具合があったため、誤発注は取り消されず、これに基づく取引が次々と成立していった。その間、東証側も発行済株式数を超える異常な取引が成立していることに気づき、みずほ証券と連絡をとりながら対応を検討していた。しかし、売買停止の措置が講じられることはないまま、最終的にみずほ証券が反対売買を入力するまで、誤発注に基づく取引は進行した。結果、みずほ証券に巨額の損害が生じたが、東証の約款には、東証の市場の施設利用に関する損害については、東証に故意又は重過失がある場合を除いて免責されるとの規定があった。
 みずほ証券が、受渡不能となった株券に代わる金銭等の損害415億円余を東証に賠償請求したのがこの訴訟である。主な争点は、東証の義務違反の有無(及び免責規定との関係での重過失の有無)、免責規定の適用如何、過失相殺の可否及び過失割合などである。

 判旨  判決では、免責規定は有効であるとした上で、東証の義務違反については、「取消注文が実現されるような被告売買システムを提供すべき義務」に違反した軽過失(ここから生じた損害は免責規定により免責される)と「売買停止義務」に違反した重過失(ここから生じた損害のみが考慮される)があるとされた。他方、みずほ証券側にも「発注管理体制の不備や、本件売り注文行為における原告従業員の警告表示の無視を含む不注意」という重過失があり、両者の重過失が過失割合「東証7:みずほ証券3」で競合し、損害を生じさせたとして過失相殺を認めた。
 結果、みずほ証券の重過失があった午前9時35分以降の損害である約150億円の10分の7に当たる107億円余の賠償が命じられた。

 コメント  IT訴訟では最大級のもので論点多岐にわたりますが、賠償額の認定だけを採っても大変複雑で興味深いものがあります。東証の責任を否定することはできないとしても、みずほ証券の側に「1円61万株」という衝撃的とも言えるミスがあったことから、415億円余の請求を約4分の1に減額した結論は、ある意味「座りが良い」とも言えます。ただ、これが導かれた過程にはいろいろと議論の種があります。
 まず、本件では、免責規定と過失相殺が重畳的に適用され、これによって大幅減額が実現されています。免責規定は、免責にかかる軽過失から生じた(相当因果関係にある)損害を賠償の対象から除外することだけを規定しており、逆に言えば、重過失から生じた損害については原則どおりということですから、後者に対して(のみ)通常の過失相殺を適用するという判決の方法は論理的に妥当だということになりそうです。ただ、過失割合である7:3を導くに当たっては、軽過失であるはずの「発注者としてなすべき回帰検査の確認を怠った」も考慮に入れられており、軽過失免責の趣旨は徹底されていません。
 最も注目されるのは、「東証7:みずほ証券3」という過失割合そのものです。これについては、判旨もそれほど明確な根拠を示しているわけではありません。緊急事態ではあるが専門家としての職責を果たせなかった責任と、ルーチン作業の中での「異常」行為の責任という、比べようのないものの比較をせざるを得ないことにも一因があるでしょう。単純に過失の態様を比較すれば(さらに数百億円という巨額の損害の引き金という意味では)、みずほ証券の責任の方が重いとも言えますが、判旨は「世界有数の取引高を有する証券市場を開設する者」、すなわち証券市場という現代の経済社会に不可欠の社会インフラの担い手である東証の責任を重く見たものでしょうか。しかし、東証が本件売り注文に気づいてから間もなくして、約定数が発行済株式数を超えたものの、東証が本件売り注文が誤発注であることを知ったのはようやく9時36分を過ぎてのことです。しかも、東証はみずほ証券に確認の電話を数回入れて取消注文がなされるのを注視しており、取消注文ができないことを知ると直ちに売買停止を決定しているのですから、やや酷と言うべきでしょう(重過失を否定すべきとの見解もあるようです。)。
 他方で、誤発注を過失相殺事由とみることは、作動しなかった火災報知器のメーカーが失火自体について過失相殺を主張するようなもので、妥当でないとする見解もあります。確かに、「誤」発注からの取消の場合に、通常の発注の取消の場合と比べて、その執行がより困難となるような理由はありませんから、東証には、ともかく起きてしまった事態を前提に、そこからの回復を全うすることが求められるとも言えそうです。しかし、そもそもみずほ証券の過失がなければまったく損害は生じなかったわけですから、その損害のすべてを東証に負担させることは衡平を失すると言わざるを得ません。競合した過失が第三者のものであれば、責任割合を考慮するのは当然ですから、本人の過失であった場合との違いは信義則上のものにとどまるのが理屈です。もっとも、判決はこのような視点を若干は考慮して、過失割合を7:3に抑えたのかも知れません。
 なお、判決は「市場施設提供に当たり、運用面を含めたシステム全体としてみた場合には、不完全なシステムしか提供していなかった...この債務不履行は、本件売り注文以前から継続的に存した」(この部分は行為そのものが消えてなくなるわけではないにしても、免責の対象です。)とか「本件売り注文を行うとの義務違反行為によって...本件不具合を現実化させた」(不具合を現実化させたのは、直接には取消注文の方です。)とか、やや無理な認定をして「損害は、東証の重過失による債務不履行に、みずほ証券の重過失が競合して生じた」という結論を導いています。しかし、もとより過失相殺における過失は、債務不履行の過失そのものに影響を及ぼす必要はおろか、時間的に競合する必要すらなく、ただ損害の発生や拡大に寄与していれば足りるのですから、みずほ証券側の重過失と損害との因果関係を論ずれば十分であったと思われます。
 判決の適否とは別に情報システムの観点から目に付いたのは、取消できないシステムを提供してしまった軽過失による損害が、免責規定でバッサリ切られていることです。判旨も「完全無欠性の確認ではなく、認知できた不具合件数の推移からの推論によって、その提供判断を行って」など、売買システムが社会インフラとして重大な帰結を生じさせるものであることには一定の配慮をしていますが、システムのユーザは避けようのないリスクを背負わされることになります。他方、システムの提供者の立場からすると、本件では免責規定や過失相殺での大幅減額があったものの、青天井に膨れ上がる余地のある賠償リスクを背負っていることになります。ただ、判断をどう調整しようとも(保険を別にすれば)巨額の損害を当事者のいずれかが負担するほかありません。人間のコントロール能力を超えるかに見えるシステム取引には、原子力と同様の恐ろしさがあります。判旨にある、ほんの数分の間に(なす術もないまま)次々と取引が成立して損害が膨れあがっていく様は、システムの「メルトダウン」を思わせます。
 情報システムの観点からは、まだまだ検討したい論点がたくさんありますが、それは別項(ジェイコム株誤発注事件(東京地判平21.12.4)・その2)で扱います。